Short-Lived Musings

つかの間の物思い

生理と倫理

 同性愛嫌悪って、社会問題の中でも特に難しさをはらんでいる気がする。改憲とか夫婦別姓とは趣が違う。たぶん生理的な嫌悪感に根差しているものだからなんじゃないかと思うが、どうだろうか。違ったらごめん。当然無知・無理解に由来する部分や嗜虐的な感情からくる側面もあろうが、この問題を「心理」で、「倫理」で、あるいは「論理」で掘り進めても、「生理」という岩盤に突き当たってしまうようなところがある。「ゲイは襲ってきそうで怖い」とか「エイズをうつされる」とかであれば、これは明らかに事実に基づかない偏見である。教育されたり、実際に当事者と関わったりすることで何とかなる領域だろう。ここで嫌悪が解消されるのは理想である。問題はその先だ。「男が男に性的に興奮するなんて……」と言われた場合、主観そのものに対してはクリティカルな反論ができず、「それってあなたの感想ですよね」と言って相手を見下すひろゆきになるしかなくなってしまう。

 「同性愛者だって普通に暮らしているだけだ」とか、「同性愛を認めたところであなたの人生には影響がない」という反論はあまり通用しないと思う。「男が男に性的に興奮するなんて……」と思っている人にとっては、よしんば性的アイデンティティー以外のすべてが自分と同じだとしても、同性愛という一点を捉えて普通ではないと判断するだろう。また、生理的感覚にかかわる話なので、認めるということ(他者として尊重することだけでなく、ジェンダースペクトラムであるという科学的事実を受け入れることも含む)は自分の世界観、ひいては人生に大きく影響する。

 ここまで書くと「おまえはもしかして差別主義者に肩入れする気か」と言われそうな気がするが、全然そんなことはない。何かを非難するときに非難対象の思考回路をエミュレートするのは大切な作業だ。ただ「私はリベラルな人間で、差別に反対しています」と口で言うのは簡単に過ぎ、時に隠れ蓑として使われることもあるので、あえてここで強調しようとは思わない。宣言することも大事だが、言葉の節々からなにがしかをにじませるような、そういう意見表明があってもいいだろう。

 

 岸田首相の秘書官がLGBTを差別して更迭された*1が、私が絶望したのは、「LGBTも好きでなっているわけじゃないし、サポートしたり、救ってあげたりしないといけない」という発言だ。オフレコだからと暴言を吐いておきながらフォローするのも妙なので、これはこれでこいつの本心なのだろうという感じがする。人のアイデンティティーに対して「好きでなっているわけじゃない」と言えるのはすごい。本当に見下していないと言えない。たしかにLGBTはなかなか苦しい思いをしているように見えるかもしれないが、それはお前みたいなやつが権力の中枢にいるからだろ。自分で放火しておきながら「消火しなければいけない」って言っている放火魔みたいで怖いサイコパスか?

 ちなみに私は同性愛を怖がっている人に同じことを言える。「好きでおびえているわけじゃないし、サポートしたり、救ってあげたりしないといけない」。彼の差別発言からは、扇風機に吠える馬鹿な犬のような、愚かさ、みっともなさ、弱々しさを感じる。ということはやっぱり無知・無理解に由来する部分は大きいのだろう。

 でも矯正して共生強制することはできるのだろうか。わからない。生理的嫌悪感は、その人の生態の自然な側面であり(ここでいう「自然な」とは「論理的に考えて、無理なく誰でも納得できる」という意味ではなく「意図的ではなく、無意識のうちにひとりでにそうなる」という意味)、生態に対して倫理的または非倫理的という評価は考えられないため、嫌悪を倫理的に非難することはできないように思われる(これは裏を返せば、性愛にかかわるアイデンティティーもまたどういう形であれ否定されるいわれはないということである)。

 確実にやれることがあるとすれば、犬に扇風機の仕組みを理解させるのではなく、すぐ吠えないようにしつけるということだ。嫌悪感に基づく行動が他者に危害や差別を与える場合には、当然倫理的な配慮を働かせて慎むということである。犬はともかく、人間ならできて当たり前のことだろう。これができない人はクローズアップして軽蔑せざるを得ない。荒井とかいう人は記者団の中にLGBTがいるとは思わなかったのだろうか。思わなかったんだろうな。

 この配慮や慎みを支えるもの、生理的嫌悪感という岩盤をも掘り進む切り札こそ、「人権」という、倫理属性の最強カードだ。改めて考えても素晴らしい発明である*2

*1:

www.jiji.com

*2:ただ人権という最強カードがいつも生理的嫌悪感に勝つ訳でもない。ワクチン忌避にまつわる議論では、おそらくこのカードは、生理的嫌悪感を守る形で、すなわちワクチン忌避を正当化する形で使われることになるだろう