Short-Lived Musings

つかの間の物思い

東京都青少年健全育成審議会個人的神回10選

 東京都には「青少年の健全な育成に関する条例」という条例があり、エッチな本について知事が「青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。」と規定している。そして図書類の販売を業とする者は、知事が指定した図書類を青少年に販売してはならないとされている。私は東京の本屋でアルバイトしていた経験があるが、本当に都から封筒が届き、「この出版社のこの本は普通の売り場で売るなよ」ということが通達される。

 法律は知事を主語にしているが小池百合子氏が一人で勝手に決めているわけはなく、実際は知事部局の中の生活文化スポーツ局都民安全推進部が指定している。

東京都安全・安心まちづくりマスコットキャラクター「みまもりぃぬ」

 

 このエッチ本を指定する審議会がある。構成員は年度によって変化するようだが、現在は出版倫理協議会映倫フランチャイズチェーン協会、婦人団体、PTA、都議会議員BPO、法学教授、都法務局、警視庁非行対策官、都職員など20人から成る。議事録があるのだが、これがマジで面白い。本当にみんなでえっち漫画を読みながら「えっちだね」って語り合っている。

 特に好きなくだりを10個選んだ。紹介しよう。

 

 

①合法ショタに知見ニキ

平成30年度4月

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 『ミニサイズでもギャルお兄さんは落とせる』の帯に書かれた「合法ショタ」というフレーズが問題視された場面。

 

○J委員:帯、この本の帯に合法ショタとあります。この合法ショタについて、事務局ないし知見の深いC委員からご説明をいただければと存じます。

○青少年課長:この「合法ショタ」という用語は、一般に「ショタ」というのは小さい男の子に対して愛情を持つというところなんですけど、小さい子に対して、いわゆる性的な欲望をぶつけるというのは違法だというふうに考えられている。では「合法」というのは何かというと、この小さい子どものようにみえて一応大人であるということで「合法ショタ」だという言い方をしていると思われます。

○健全育成担当課長:「ショタ」というのは、「鉄人28号」の正太郎君みたいな小さい子どものキャラクターを好む人を正太郎コンプレックスというところから、「ショタ」という言葉が来ているということは聞いております。

○会長代理:C委員、いかがですか。

○C委員:私もよく理解できない言葉がたくさん出てくるんですけども、BLの世界の中での共通する言葉、共通概念の用語というのがございますので、そういう中で捉えられる一つの概念用語だと思います。

○会長代理:はい。

 

 面白いのは「合法ショタについて知見の深い」という肩書である。バキ童チャンネルとかでしか登場し得ないと思うのだが。

 ただしこの委員、本当に知見が深いと言えるか怪しい。合法ショタを「BLの概念用語」と言っているがそうだろうか。だってほら、おねショタでも出てくるし。解説らしき解説もしていない。

 それより青少年課長の簡にして要を得た解説はさすが公務員である。青少年課長だけに、少年にも詳しいのだろうか。

 健全育成担当課長の補足はもはやただのうんちくである。何がしたかったのだろう。ちなみにこの日、彼の発言はこの1個だけである。

 

八月薫ファン

平成30年度8月

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平成31年度1月

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 八月薫という作家の本が取り上げられた回が2回あるが、委員の中にその熱心なファンが紛れていた。割り振られたアルファベットは違う(I委員とH委員)が、各回ごとに発言順にAから割り振られているにすぎず、同一人物と思われる。さすがに二人も特定作家のファンがいたら困る。一人でも困る。

 

平成30年度8月

○I委員:作者の八月薫さんというのは、何度も指定されているんですね。エロティックな熟女物を書かせたら、デザインも絵も非常にしっかりしてて、非常にそそられるような感じはあると思うんです。だからなんですけども、性器とかは一応消してあったり、配慮されている。性交シーンはほとんど出てこないんですけども、その性的姿態といいますか、男を誘うときの熟女のエロティックさが、青少年にはやっぱりいかがなものかというところはあります。これはもうこの方の作品のどれもに共通するようなところなんですけども、修整はされてても、極端に露骨で青少年のまだ未熟な性意識には刺激的じゃないかと思います。

 

平成31年度1月

○H委員:最初に、『最高にトロけた本気でホントの話』という、リアリティのある作品。12の作品を集めたもので、八月薫さんという方は、八月薫全集があるぐらい、この世界じゃ熟女、エロものといいますかね、人妻、熟女ものの作品を描かせたら上手なんで、ストーリーもきちんと描かれる方なんです。それだけにこれを青少年に読ませるということになると、絵が上手なだけに、性交シーンなんかも非常にリアリスティックに見えます。

 

 「お前らガキんちょにはまだ早い」という姿勢が一貫していて潔い。次発行するときは帯に「東京都青少年健全育成審議会委員推薦!」みたいなことを書いてもいいんじゃないだろうか。

 

③淫魔のノリに困惑する委員たち

平成30年10月

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令和3年度12月

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 淫魔とは、要するにサキュバスとかインキュバスみたいな、寝ている人間にエッチな夢を見させる悪魔である。委員がこの淫魔に引っかかる場面が平成30年と令和3年の2回あった。

 

平成30年10月

○A委員:この「淫魔」という設定が、この作家の方はファンタジックにしたかったんでしょうけれども、内容がいろいろと難しいと思いますので、指定やむなしでお願いいたします。

○B委員:人間と淫魔のファンタジー化した世界を描きたかったのでしょうが、確かに人格否定はありませんが、ファンタジーにはなっていないんですね。非常にリアリティーというか、体液、擬音が多く、性交渉も一応修整はなされているけれども、どうなっているんだろうと思うぐらい絵がぐちゃぐちゃになっている。

 淫魔の存在はファンタジックだが行為はリアルだからアウト、という理屈である。ただ「内容がいろいろと難しい」とか「どうなっているんだろうと思うぐらい絵がぐちゃぐちゃ」という発言の通り、淫魔設定についていけていない可能性がある。

 そしてついに、淫魔のノリについていけなさ過ぎて逆にOKな委員が登場した。令和3年12月、『淫魔Ga豆腐めんたる1ぷるん』である。

○D委員:毎月不健全とか有害図書対象の書籍を調査する検討会を行っておるんですけれども、そこにもこの図書は上がってきてないんですね。上がってきてない理由のひとつが、タイトルの『淫魔Ga豆腐めんたる』って何かよく分からないものだからなんです。淫魔とかっていう表現が出て、最凶魔王、最弱淫魔と帯に書いてあったりして、どういう内容だろうというふうな気はするんですけども、ご覧になって分かりますが、コミカルっていうかコメディタッチでなんとなくファンタジーな作品で、しかもその卑わい感、人格否定もほとんどどのシーンを見ても感じられなくて、セックスシーンも絵の装飾が多様かつ派手で何かどこがセックスしてるのかと思うようなシーンが多いんですね。青い付箋がたくさん付いておりますけれども、この青い付箋のところで15条の第1項のイ、ロに当てはまる性的な興奮を感じるのかなと。2~3カ所はちょっとあるような気もするんですけども、ただそれも非常にコミカルに描かれてて、しかも装飾があってどういうシーンなのかよく分からないんですね。正直なところ、自主規制団体の10名が指定該当、5名が指定非該当にしているんですけども、私はこれは当てはまらないというふうに考えております。この程度の戯作的な作品といいますか、ファンタジーコミカルな作品を、表現の自由の立場から考えても何か制限を加えるということに対してちょっと違和感を感じるんで、私はこれは当てはまらないというふうに判断いたします。

 出版社などで作る自主規制団体では指定該当の方が多数派なのに、行政の一員の方が表現の自由の観点から制限するべきでないと考えているのが面白い。逆だろ。疎い人にとってみれば、エロさより意味不明さの方が上回ったのだろう。とはいえ「戯作的」や「ファンタジーコミカル」というのはかなり言い得て妙な表現だ。「筋がいい」とはD委員のような人のことを言うのだろう。

 

④『恋獄のミレニアム』への評価が割れる

平成30年度2月

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 評価が割れたと言っても、不健全かどうかの評価が分かれたのではない。漫画としての評価である。

○D委員:何か絵がごちゃごちゃした感じで、なかなかするっと物語の内容が入ってこなかったんですけれども、神父と悪魔というファンタジックなストーリーなんでしょうけれども、ちょっと暴力的な、凶器が使われたりしているところとかがありまして、これは指定やむなしかなと思いました。

 一方で別の委員は……

○西尾委員:一応、ストーリー性はあると思いました。実は初めて、 この会に出て、おもしろいと思ったんですけれども、ただ、局部の形状がわかったり、体液も多いので、卑わい感が高いと思います。

 「初めて、 この会に出て、おもしろいと思った」というなかなかの賛辞を送っている。ただその後また別の委員が以下のように述べている。

○A委員:このジュネットコミックシリーズ、過去1年間の指定実績が2回あるんですけども、これがまた二冊指定されることになります。最初の『恋獄のミレニアム』、これは設定が、非現実でちょっとリアリティーに乏しい割には絵が雑なんですよね。それで、ストーリーそのものは、さっきおもしろいとおっしゃっていた方もいましたが、読み込むとそれなりのストーリーにはなっているんですけども、やっぱり描写が雑な上に性描写が目につくというところがひっかかるところです。

 「雑」とまで言う人も現れた。ここまで図書そのものへの評価が割れる例は珍しい。

 

⑤義兄弟BLは近親相姦?

平成31年7月

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 義理の兄と義理の弟と主人公によるBL3Pが問題視されかけた一幕。

○I委員:ちょっと聞きたいのですが、近親者というのがどういったときに当てはまるのか。今回、先ほどもJ委員からお話があった、これが何で近親者に当たるのか、当たらないのというのが、これが血のつながりがないからなのか、同性だからなのか、ちょっとその辺がよくわからなかったんですけど。

○若年支援課長:血のつながりがないためという解釈で考えてございます。

○I委員:血のつながりがないと、近親者には当たらないという。

○若年支援課長:いわゆる血のつながりがない義兄弟という関係は、新基準でいうところの近親者に当たらないという解釈です。

○I委員:では、例えば、これが今、3人登場人物がいますけど、実兄弟もいますよね。実兄弟が性的な、挿入するようなところがあったら、これは近親相姦になるということですか。

○若年支援課長:該当する可能性があるということです。

○I委員:わかりました。すみません、ちょっとそれだけわからなかったもので、ありがとうございます。

 一応新基準と呼ばれている条例の箇所を全文引く。

近親者間(民法(明治29年法律第89号)第734条から第736条までの規定により、婚姻をすることができない者の間をいう。)における性交等を、当該性交等が社会的に是認されているものであるかのように描写し若しくは表現し、又は当該性交等の場面を、みだりに、著しく詳細に若しくは過度に反復して描写し若しくは表現することにより、閲覧し、又は観覧する青少年の当該性交等に対する抵抗感を著しく減ずるものであること。

 再婚相手の連れ子同士の結婚を禁止する規定は民法にない。養子縁組をしている場合についても、わざわざ但し書きで例外化されている。

第734条 直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない

 兄弟ものを書きたい人は適当に義理設定をつけておこう。

 余談だが、優生学上の根拠はわかるとして、倫理的に近親相姦を禁止する正当な根拠はないというか、多数派の価値観によるところが大きい気がする。たとえばこの審議会でもBLに対して「同性同士だから不健全だ」という排斥的な意見は登場しない。であれば子供を作らない前提の近親相姦を指定する正当な理由もない気がする。

 

⑥「ん゛」に困惑

平成31年度11月

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 エロ漫画独特の擬音表現に混乱した委員がいた。

○A委員:2誌目の擬音の部分なんですが、改めてよく見ると、擬音といっても、わかりにくいというか、私はちょっと自分ではこういう言葉を擬音で表現しないような、何か、「しろ、しろ」という、「しろ、しろ」というのはどういう擬音なんですかね、ちょっと。「しゃっ」というのも「だめ」というのもある、一番最後の「ん」に点々がついているとか、よくわからないんですね。これまで、私はこれを見てわいせつ感は増すとは思わないんですが、要するに何を言っているんだろうという感じがいたします。

○C委員:2誌目もそうなんですけれども、擬音というよりも、よくわけのわからない言葉が大変羅列されていて、好ましいとは思いません

 擬音をわけがわからないと感じる点は一緒でもそれを「わいせつ感は増さない」と評価する派と「好ましくない」と評価する派に分かれた。「ん゛」なんて擬音、相当にエロいと思うが……。エロにもリテラシーありといったところだろう。(ただしA委員も結局は「青少年が見るべき本ではなくて、成人がご覧になるべき」と言っている。)

 同じ本に対して他にもコメントがあったのだが、一つ、別角度で好きな箇所があるので紹介したい。

○F委員:この「俺の彼氏に開発されすぎて、困ってます。」というタイトルどおりに、要するに、SEXの描写がとても扇情的で、男同士とはいえ、擬音の描写が多過ぎて、性的には非常に卑わい感が増してくるんじゃないかと思います。

 男同士のセックスは卑猥ではないとでも言いたげな口ぶりも引っかかるが、何より気になるのは「SEXの描写がとても扇情的」である。なんで「SEX」なんだ。「セックス」じゃダメなのか。BLは略語だからアルファベット大文字になるのは当然。「SEX」て。普通名詞だぞ。議事録作る人もエロ本のタイトル入力しているうちに感覚がおかしくなっていたのではないか。あるいはめっちゃいい発音で「SEX」って言ったのか。会議録を見返していて一番笑ったのはこの箇所である。

 

⑦女性は男性器の知識がない

平成31年度2月

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 これは神回とは違う。女性BL作家が書いた開発ものに対して、看過しがたい発言が見受けられたため紹介したい。

○I委員:もう「打合せ会」で10名中8名が区分陳列の対象だと言っているように、作品そのものが、人格否定だけじゃなくて、器具を使った性的な凌辱行為が、一番大きなポイントだと思いますね。こういう道具を使ったり拘束したりするようなことが、青少年に全然ふさわしいとは思えない。これは後書きを読まれるとわかりますけども、作者は女性で、やはり、男性器については余り知識がないんじゃないかと思うようなところがありまして、ちょっと疑問に思います。こういう、エスカレートしたある種の表現形態というのが、青少年には全くふさわしくないと思いますので、これは区分陳列でお願いしたいと思います。

 じゃあ聞くが、アガサクリスティは殺人鬼か? スピルバーグは未来から来た異星人で、サメに襲われたことがあって、古代遺跡を探検しているのか? この発言は創作者への冒涜である。作家の技術は、感受性や洞察力、リサーチ能力など、いろんな能力に大きく影響される。重要なのは、どれだけ他者の立場や体験に共感し、あるいは0から想像し、それを表現する能力を持っているかだ。作者の素性をもとに決めつけるのは間違っている。ミステリーでもSFでも尿道攻めでもそれは変わらない。

 知識がないからエスカレートするというのもよく分からない。実際の図書を見ていないので何とも言えないが、知っていてあえて、の可能性もある。男性向けでも超乳とかあるし。

 だいたいリアリティーがあるから生々しいと言ってみたり、知識がないから表現がエスカレートしていると言ってみたり、ダブルスタンダードだ。

 この本はよほどハードだったらしくほかの委員も忌避感を示していた。

○H委員:この帯のところで、これランキング1位というのもちょっと驚きますよね。何かよくわかりませんけども、これが一番読まれていると、読まれているというか、レンタルみたいですけど、余談ですけど、思いました。

 コミックシーモアの登録ページでは作品内容が以下のように紹介されいてる。

幼馴染に監禁され、堕ちるまで侵される40日間の夏休み――…。冴えないチビの大樹に夏休み前日初彼女が! 初デートのため、大樹はとにかくモテるイケメン幼馴染の悠人の家で作戦会議! しかし、ジュースを飲んでると意識が遠くなり、気がつくとベッドに裸で縛り付けられていた!? ナカを弄られ媚薬入りローションを注入されると、嫌だったはずなのに気持ち良くなり…。「俺なしじゃいられなくなるまで調教してやるよ」ア●ル拡張、メスイキ、潮●き、尿道攻め…与えられる快感で頭はおかしくなって――

 現時点で162件のレビューが寄せられているが、お姉さま方は満足しているようだ。男が男の尿道を攻めたくらいで驚く必要は全くない。人々の性的な多様性を尊重し、理解しようとする姿勢が大切だ。

 

⑧BLに一家言ニキ

 先ほどはBLに理解のない委員の発言を紹介したが、逆にBLにお熱の委員もいる。複数の回で登場するが、同一人物じゃない可能性もある。まずは令和3年度6月から。

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○B委員:自主規制団体との打合せ会で指定該当が非該当よりも圧倒的に多い2冊ですけれども、私も人格否定とかセックス時における強制、道具での縛りとか、性器そのものの消しの甘さとかが問題だと思います。一方で、BLは、女性の読者を想定して主に女性の作者が、男性同士の愛とセックスを描くというのがパターンで、これが市場を形成しているんですけども、こういう市場が今、日本だけではなくて韓国語に翻訳されたり、台湾に出ていってたりして、約二百数十億円の市場規模になっています。この2誌の描写そのものは東京都の条例等の規程に該当しますので、私も成人向けということで指定該当やむなしとは思います。ただ皆さんに知っておいていただきたいのは、作者も編集者も多くが女性で、読者も女性の20代30代が中心です。そのBL作品のほとんどは、ソフトなものだということをちょっと頭の中に入れておいていただければと思います

 

 またBLに対する持論や信条が垣間見える発言もあった。令和3年度3月。

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○J委員:確かに絵の感じ、ストーリー性、性交シーンとかも見ても、卑わい感がそれほどある作品とは思えないんです。ただ、性的に未成熟な青少年がこの作品をBL作品として読んだ場合、どうしてもセックス一辺倒になります。セックスが主眼で、そのシーンを再三再四繰り返している。男性器の修整も甘く、BL作品ならもっと愛情表現を考慮して、構成すべきでしょう。これは、セックスオンリーですので、どうしても引っかかってしまいます。

 編集者みたいな視点である。「BL作品ならもっと愛情表現を考慮して、構成すべき」かどうかは、議論の分かれるところだ。でもこの委員の熱は伝わる。

 

最後に今回紹介する中で最も新しい令和5年4月の回。

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○F委員:まず冒頭で、BL=ボーイズラブというジャンルについて一言申し上げたい。クールジャパンの代表と言われるコミック、その中でも一つの確固たる人気ジャンルとなっているBLに対する評価というのは、出版界のみならず社会全体に広く受け入れられているということをぜひ認識していただきたいのです。

 BLオタクは安心してほしい。東京都青少年健全育成審議会にはこのような委員もいるのだ。

 

⑨作者コメントがあだに

 作者がたわむれに付けたであろうあおり文が致命傷となった回が2回あった。まずは令和3年1月。

 

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○D委員:性交渉の場面が多くて、あと体液描写が大変多いというふうに感じております。自主規制団体からの聴き取り結果に本の袖にエロ本と書かれているため保留というふうなご意見があるんですけれども、このエロ本というふうに確かに書いてあるので、これは書かれた方も成人向けであるというふうに思っていらっしゃるのでしょうか。その辺り分からないんですけれども、該当ではいいと、成人向けでいいと思います。

○E委員:『連勤明けのごほうびは』は、先ほどの委員の方もおっしゃったように、頭を空っぽにして読めるエロ本ですと著者自らの宣伝が、本の帯に載っておりますけれども、とにかくセックスシーンが擬音・擬態をともなって生々しいほどしつっこく続きます。ストーリー性はあったとしても、これも区分陳列の対象になると思います。

○F委員:擬音など体液描写は多いと感じるんですが、ストーリー性などがあって、そんなに卑わい感はないのではないのかなというところで、該当ではないのではないかっていうふうに思ったのですが、D委員もおっしゃっていたように、著者自身がエロ本ですというような書き方をされているのであれば該当なのかなというところで、2冊とも指定該当でお願いいたします。

○C委員:ストーリーもあるものの、性交シーンが多く、かつ性交シーンが詳細に描かれていて、擬音や体液の描写も多く、卑わい感を感じさせるものであると考えますので、ちょっと悩むところではあったんですが、ほかの委員からもあったとおり袖のほうに、著者の方がエロ本ですというふうに書いているということも踏まえて指定該当と考えます。

 特に最後の二人は、本人的には不健全図書に該当しないかと思っていたようだが、作者の「頭を空っぽにして読めるエロ本です」というコメントが背中を押してしまった感じだ。完全に作者の自爆である。

 

 次。令和4年度8月。

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○B委員:はい、私もこれは指定該当だと考えます。これまで伺いましたとおり、性的描写のシーンが多くて、また、自主規制団体からの指摘もありますが、催眠術という設定が人格否定とも取れるのではないかという指摘、これ、まさにそのとおりだと思います。あと、表紙見開きのコメントのところですかね、先ほどF委員からご指摘ありましたが、「とにかく爪痕を残したくて、ドエロいBL催眠3P描くぞと気合いを入れました」ということで、その目的をまさに果たしているのではないかと思います。ですので、これは成人向けに販売するのが妥当なものであるというふうに私も考えます。

 まるで相手の勢いをうまく受け流して転ばせる、柔の道のような論法である。

 

⑩タイトル・パラフレーズ

令和4年度6月

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 重箱の隅をつつくような話で恐縮なのだが、個人的にかなりツボった箇所である。

○A委員:2誌目の『トロける快感ソク堕ち悪魔』って、とろける快感で即落ち性交みたいな感じで、性器の修整もされてはいるんですけど、非常に甘い。

 「2誌目の『トロける快感ソク堕ち悪魔』って、とろける快感で即落ち性交みたいな感じで」←言い直す必要なくない?

 もっと言うと、ほぼそのままじゃん。パラフレーズっていうかリフレインだよ。なんなら「悪魔」を「性交」に言い換えている分お前の方がエロだぞ。

 あと、役所の文書だと固有名詞ではない「トロける」が「とろける」に、「ソク堕ち」が「即落ち」に、書き換えられるんですね。勉強になりました。

 

 以上である。

皐月賞とマクシミン戦略

 皐月賞を見てきた。

ゴール前。この直後1番ソールオリエンスが差した

 「生」の激しい緊迫感に我を忘れたね。場所もかなり良かった。ウマ娘血統に2100円賭けて1400円しか返ってこなかったけど。でも1着ソールオリエンス(父がキタサンブラック)と2着タスティエーラ(父がサトノクラウン、母の父がマンハッタンカフェ)を買っていたので初競馬としては良い記念になった。

 もし儲けようと思ったらどう賭ければよかったのか。必勝法がないことはわかっているが、少しは良い結果を出せる方法はないものか。

 もっというと、馬の分析は難しいし、誰の言うことを聞けばいいのかわからないので、オッズを眺めるだけであわよくば勝てるような方法はないだろうか。

 

 ある。オッズ理論だ。

 

 たとえば3番人気以内にいい具合に分配して単勝を買い、どれが勝っても黒字になるようにするとか。

 予算を1万円とし、今回の皐月賞の直前オッズを参考に組んでみよう。

 1番人気は7番。単勝オッズが3.8。これを単勝4300円分買う。もし勝ったら1万6340円になる。

 2番人気は1番。単勝オッズは5.2。これを単勝3100円分買う。もし勝ったら1万6120円になる(ちなみに現実はこれ)。

 3番人気は15番。単勝オッズは6.3。これを単勝2600円分買う。もし勝ったら1万6380円になる。

 私は1万円分馬券を買っている。3頭の中で最も払い戻しが少なくなるのは1万6120円の1番である。しかしそれでも6120円の黒字なのだ。(この6120円という値は、予算1万円をこのように賭けるときの最大値である。)

 もちろん1~3番人気の馬が必ず勝つとは限らない。過去10年の皐月賞を調べると1~3番人気が勝ったのは10年中6年だ。これを高確率と見るか低確率と見るか……

 なおこれらの数値(「1~3番人気」や「単勝○○円分」)をどうやって見つけるかというと、Excelでできる(1~3番を対象にした積極的な必然性はないが、消極的な基準はある)。プログラミングができる人はもっともっと凝ったこともできるだろう。

 

 

 

 ちなみにこのような「最悪のケースが最もマシになる」場合*1を選択する考え方をマクシミン戦略と呼び、ボードゲームのメカニズムなどにも時々登場する。この考え方を各人間間の裕福さに適用したのがロールズの格差原理だ。つまり最も恵まれない人に注目し、そういう人になるべくマシな生活を送らせるためには(形式的な)不平等が許されるという考え方だ。累進課税の根拠になっている。私は友達と遊ぶ場所を決めるときにもなるべくこの考え方を採用したいと思っている。つまり最も来るのに時間がかかる人の移動時間が最短になるような駅で待ち合わせるのだ。「集まるなう」というサイトがこの方式を採用している。

atsumaru-now.com

 

*1:厳密に言えば今回「最悪のケース」は4番人気以下の馬が勝って1万円丸々するケースである

そちらの日本語の方、マナー違反の形になりますがよろしかったでしょうか

 新年度ということで(?)、マナー講習を受けさせられた。いわゆるマナー講師と呼ばれる人が来て、一通りのことを教えてくれた。マナー講師って実在したんだ。「脳にマナーを刷り込んでいきましょう」って言っていて怖かった。でも、結局のところ、人と接するときに一番大切なことは「相手に不快感を与えないこと」だと思うんだよな。そういう意味ではマナー講師は矛盾を抱えた存在である。
 正しい日本語を使いましょうという話があったのだが、その例として出てくる「いまいちな日本語」が個人的に興味深かった。決して誤用ではなかったし、使いたくなる気持ちもわかるものだったからだ。挙がったものは4つある。それぞれについて、新明解国語辞典を手掛かりに規範的な語義を示したうえで、なぜそのような用法が広まったのか、私なりになるべく好意的に理解してみようと思う。

①「形」

 「いったん会員登録していただく形になります」とか「こちらで指定させていただく形なんですけど」の「形」だ。辞書を引くと以下のように解説されている。

(二)物事の表に現われている様子。 「—の上では/ 欠勤の— 〔=表向きは欠勤という体裁〕 を取る/ わびを入れた— 〔=という体裁〕 だ」

 これを好意的にとらえるなら、中身の議論に立ち入らない姿勢が慎み深い。「いったん会員登録していただく形になります」は「でも別にあなたに会員としての義務が発生するわけではないです。無料ですし、常連として通わなくてもいいです」を含意する。「こちらで指定させていただく形なんですけど」は「でも本当はあなたの自己決定を尊重したいと思っているし、その可能性が微塵でもあれば自由意志発動チャンスをあげる」というニュアンスを付与する。本音と建前と言ってもいい。ここには「あなたや私の本音は置いておいて」という留保がある。この留保を留保たらしめているのが、「形」という言葉である。

②「よろしかったでしょうか」

 「ご注文、バナナシェイクでよろしかったでしょうか」の「よろしかったでしょうか」である。問題は「た」にある*1。「た」は過去のことを表すときに使うからおかしい、というのが奴らの主張である。本当か。

(一)その事柄が すでに実現し、 結果が現われているものと△認められる (見なす) という主体の判断を表わす。 「きのう雨が降っ—/ 新聞はもう読んだ/ この辺は昔は寂しかったろう/ 私がやったら出来なかっ—/ 今度会っ—時に話そう/ 済まなかっ—ね 〔=本当に済まないね〕/ あしたは月曜だっ—っけ/ 帽子をかぶっ— 〔=かぶっている〕 人/ 絵にかい— 〔=かいてある〕 ような景色」

 どこにも過去とは書いていない。そして注目すべき用例は「今度会った時に話そう」「あしたは月曜だったっけ」あたりである。いずれも「今度」「あした」と未来のことを「た」で受けている。この点について辞書は以下のように解説している。

「今度の企画会議は明後日の三時からだったね」 「今日は夜、 木村君と会う約束があったな」 などの 「た」 は文脈から明らかに未来に関する事柄を表わすのに用いられている。 この種の 「た」 は実現していない事柄であっても (恣意的な変更の許されない) 確定的だと判断されることを表わしており、 多く、 既成の事実だと思われていることを確認する意を含意する表現に用いられる。

 また「よし、 これで勝った」や「そこにいては邪魔だ。 どいた、 どいた」 「用のない者は帰った、 帰った」などについても同様の解釈を指摘している。

 マナー分野における私の分析では、相手の発言を既成事実とすることで、相手が追認するのに必要な精神的エネルギーの消費を抑えさせてあげる、あるいは相手の発言を一発で聞き取っているということを無意識にアピールするなどの効果がある。しかし、厚かましい。私は「よろしかったでしょうか」を言われると、「いえ違います」と訂正・変更できなくなる。それはまさに「た」が持つ「恣意的な変更の許されない」ニュアンスに他ならない。

③「方」

 「ご注文の方繰り返します」の「方」。これは二つの語義にまたがる。

[一](二)大体その方向に当たる所。 〔直接指すのを避けた言い方に用いる〕 「中野の—に住む/ 日銀の—に勤めている/ —面・ 遠— (ポウ) ・ 先— (ポウ)」

(三)物を幾つかに分け (て考え) た場合に、 条件に合うものとして選ばれた一つ。 「もう一つの—が大きい/ 先に着いた—が勝ちだ/ 好きな—を取れ/ 食べる— 〔=ことに関して〕 では負けない」

 さらに項目の最後に以下のような解説がある。

[運用][一](三)の意で、 例えば、 料理店の卓上にいくつか皿が並んでいる場面で、 「空いたお皿のほうお下げします」 と用いられるのには違和感を感じないが、 一枚しかない (それしか選択の余地がない) のにそう言われるのは、 「方 (ホウ) [一](二)」 の乱用だとされる。 「お代金のほう一万円になります/ 以上でご注文のほうはよろしいでしょうか」 なども同様の例。

 あくまで「乱用」と表現するにとどめており、誤用とは言っていない。しいて肩を持つならば、具体的な言動を「方」で受けてちょっと距離を取っているのが奥ゆかしい。たとえばあなたがSM趣味を有していたとして、趣味を尋ねられれば「趣味はSMプレイの方を少々……」と言うだろう。決して「趣味はSMプレイをたしなんでいます」とは言わないはずだ。同様に、お客様を神様とする接客業の店員にとって、代金とか注文とかの俗事にはっきり言及するのははばかられるのだ。

④「になります」

 これは事情が違う。誤用だ。敬語ではない。「全部で1万円になります」の「になります」を「です」のさらに敬意高いバージョンと勘違いしているのだ。たしかに「になります」が高めの敬意を表す用法はある。でもそれは動詞の連用形と合わさって「お~になる」の場合だ。

(四)〔「お+動詞連用形+に—/ ご…に—」 の形で〕 立場の上の人の動作を述べることを表わす 〔=尊敬表現〕。 「先生がお帰りに—/ ご覧になりますか」

 「全部で1万円になります」の「なります」は「及ぶ」と同義である。「なる」自体に敬意はない。

[三]〔「為 (ナ) す」 の自動形〕 〈なにニ—〉(一)今までとは違った状態に変わる。 「古く—/ 水が湯に—/ 年ごろに— 〔=達する〕/ 男に—/ 三時に—/ 全部で一万円に— 〔=及ぶ〕/ お金に— 〔=金もうけが出来る〕/ おもしろくなって来た/ じれったく— 〔=感じられる〕/ 役人に— 〔=身分が変わる〕/ 苦労が薬に— 〔=…として役立つ〕/ ために— 〔=有効である。 直接役立つ〕」

言葉とマナー

 マナー講師が問題視する日本語は、「になる」を除いて、語彙・文法的には辞書で定義されている域を出ない。でも私はマナー講師に反旗を翻したいわけではない。これらの用法はたしかにあまりよろしくはないのだ。「方」は新明解国語辞典の言葉を借りるなら「乱用」だ。「形」と「よろしかったでしょうか」も乱用されている。

 マナー違反とされる理由の核はここにある。つまり、特定の言い回しを使い回せば距離感を演出できて敬意を表せると思っている、その浅ましさが減点対象なのだ。

 ちなみにそのマナー講師は本筋と関係ない雑談の中で「短気で、卑屈で、胃に穴が4つ開いていたけど、マナー講師を始めてから順調」と述べていた。しかしその分析は物足りない。短気で卑屈であることが肯定される身分になったととらえるのが正しい。われわれはその日一日、「講習」という名の救済の物語を見ていたのだ。

 「短気で卑屈」。この自己分析は、敬語の本質を突いている。「短気で卑屈」な人間ばかりが集まった社会などあるわけがない。ないなら作ればいい。これがマナーの思想である。卑屈になりつつ、他者にも卑屈であることを求め、それに応じない者がいたら、人の中身を見る前に軽蔑して排斥する。敬語、ひいてはマナーとはそうやって拡大再生産されるものである*2

*1:断じて「バナナ」の発音ではない。

*2:逆に敬語を完璧に使いこなせたところで、相手を敬っているとは限らない。敬語を完璧に使いこなしたうえで内心では相手をおちょくっているような人がいたら痛快である。私はそういうキャラクターを一人知っている。古畑任三郎だ。

書き出し小説

 

 ラランドのニシダがやっている#架空小説書き出しを私も自宅浪人中にやっていた。図書館で『書き出し小説』という全く同じ趣旨の本を読んだのがきっかけだった。どこに投稿するでもなくメモ帳に書いていた。エモいのは無理で、ひたすらネタに走っていた。特に本来なら言葉遊びで終わるレベルのものを、小説の書き出しの分量に引き延ばすのにハマっていた。大学生になってから、その本の作者がデイリーポータルZで2週間に1回のペースで募集しているのを知り、時々チェックしている。

 架空小説書き出しの難しいところは、書き出しっぽさがないといけないところだ。どうしてもなんとなく思いついたしゃれた言い回し集みたいになってしまう。「引きのあるコントないしシットコムのつかみ」をイメージして、いかにして読者を引き込むかを考えるといいのだろう。

 

書き出し小説 | 天久 聖一 |本 | 通販 | Amazon

https://www.amazon.co.jp/%E6%9B%B8%E3%81%8D%E5%87%BA%E3%81%97%E5%B0%8F%E8%AA%AC-%E5%A4%A9%E4%B9%85-%E8%81%96%E4%B8%80/dp/4103369310

 

dailyportalz.jp

 

 私が書いたものは以下のようなものだ。

 

 有史以来、一日だけ、人が誰も死ななかった日があった。

 

 敵意と歯茎をむき出しにした原告団がこちらをにらんでいる。なにもそんなに怒らなくても、と思いながら、私は被告席に着いた。今日は私の裁判だ。

 

 人を二人殺す中で、学んだことがある。それは、必然を装うのは、偶然を装うより簡単だということだ。問題は、必然と偶然の境目をどう見極めるかである。

 

 全編がカタカナで書かれたクイーン「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」の手製歌詞カードが、僕を7年前へ引き戻す。その日、僕は中学3年生で、受験勉強に疲れ果てていた。

 

 史実のナポレオンがそうであったように、「おむつ業界のナポレオン」と呼ばれるその男もまた、一皮むけばただの独裁者である。だがこの独裁者は、その事実をまったく自覚していない。

 

 それは真心と呼ぶにはあまりにもいびつだったが、下心と呼ぼうにもそこにはエゴが欠けていた。しかし、今ならわかるような気がする。あの頃、自分がどんな気持ちで彼女に接していたのか。

 

 最初部屋に入った時点では、どちらがとりつかれた人で、どちらが除霊している人なのか、すぐには判別できなかった。二人とも狂ったように体を動かし、息を切らし、汗を散らしていたからだ。しかしよく見ると、片方の女は、私の姉、すなわち霊媒師だった。

 

 「便秘って『便を秘める』って書くくらいだからね」と彼女はよく言っていた。今となっては彼女のことを思い出すことも少ないが、とにかくよくそう言ったものだ。彼女は便秘に悩んでいた。それは彼女にとって、ある種の呪いのようなものだったのかもしれない。

 

 おんぼろアパートの一室で、首が回らなくなっているもの同士で向かい合ってみた。一方は首振り機能の壊れた扇風機。もう一方は借金で首が回らなくなった人間。残念ながら私は人間だった。扇風機の送る風は、よれた肌着の首元を揺らすばかりで、ちっとも涼しくはなかった。

 

人間とAIの比喩

 以下の記事を読んだ。

 

scrapbox.io

 

 手法としてもなかなか面白いが、比喩をやらせるということ自体が面白い。自分も以前からChatGPTの比喩能力には注目していた。というか、既存の検索システムとの一番の違いは、具体性から離れたところでの概念操作力だと思う。

 私はよくChatGPTに比喩をやらせて遊んでいる。たとえば民事法と刑事法の違いをジャズとロックの演奏の違いになぞらえて説明するよう求めたら、以下のような出力が得られた。実際は英語で質問し、英語で回答されているが、日本語に訳してある。(質問文は”Explain the difference between civil and criminal law by comparing it to the difference between playing jazz and playing rock music.”である。)

 

民法と刑法は、それぞれ以下のようにジャズやロック音楽と比較することができる。

・協調:ジャズ・ミュージシャンは、互いに協力して、まとまりのあるサウンドを作り出す。同様に、民事訴訟では、当事者が協力し、紛争を解決するための妥協や和解に達することが求められる。

・規則:ロック音楽は、より構造化されたルールベースのアプローチをとり、ミュージシャンは曲の確立されたメロディーとリズムにこだわる。同様に、刑事訴訟には、公正な裁判を確保し、被告人の権利を保護するために従わなければならない、より厳格な規則と手続きが用意されている。

・罪:刑法では、犯罪者の違法行為を処罰することに焦点が当てられている。同様に、ロック音楽は反抗や社会不適合と結びつく。

全体として、民法とジャズ音楽はより協力を必要とするが、刑法とロック音楽は反抗や社会不適合に向き合い、より厳格な規則をもつ傾向がある。

 

 法律について尋ねたのは私がただ法学部出身だからで、音楽を用いたのは単に私が音楽好きだからである。いつもやる前は無茶ぶりのつもりでやるので、それなりに筋の通った結果が得られるとびっくりする。

 

 比喩能力なら人間も負けていない。比喩と言えば、詩の領域である。私は詩は読まないが、音楽を聴くのは好きで、歌詞はよく読む。近年個人的に「発散と抽象化をしてから具体化する」(上記ブログの言葉を借りた)の領域ですごいと感じているのはOfficial髭男dismとレキシだ。髭男はタイアップ先のアニメやドラマを抽象化するにあたり、一要素を選ぶ。そしてそれを歌詞において具体化する。「FIRE GROUND」では相撲、「Universe」ではのび太の0点の答案用紙、「Subtitle」では聴覚障害に対する配慮としての映像字幕。レキシは歴史上の事象や概念を抽象化させてから、邦楽あるあるのレベルに引きずりおろす。その飛躍が気持ちいい。レキシのことは過去のブログに書いたので読んでほしい。

zatomi.hatenablog.com

 

 極北は「ミックスナッツ」の歌詞だろう。あの漫画からわざわざミックスナッツを選び、それを執拗に具体化する。

 試しにAIにも指示を出したが、大したものは得られなかった。(Write a lyric that praises a family that married under false pretenses for espionage, comparing it to a mixed nut.)

ああ、この家族はミックスナッツのようなものだ

いろいろなピースが集まってきて、計画通りに

命をかけて

より大きな利益のために、秘密を守るだろう

比喩と呼べるものは以上の一カ所のみだった。文体のぎこちなさもだし、比喩としても弱い。質問文を工夫すれば出力も変わるかもしれないが。でも機械がこれを出力しているとするとすごい。(あと非引用箇所の多数で英語で韻を踏んでいたところもすごい。)

 

 野暮だけど、人間代表藤原聡の歌詞確認しておく?

 

袋に詰められたナッツのような世間では

誰もがそれぞれ出会った誰かと寄り添い合ってる

そこに紛れ込んだ僕らはピーナッツみたいに

木の実のフリしながら 微笑み浮かべる

 

噛み砕いても無くならない 本音が歯に挟まったまま

 

この真実だけでもう 胃がもたれてゆく

 

化けの皮剥がれた一粒のピーナッツみたいに

世間から一瞬で弾かれてしまう

 

共に煎られ 揺られ 踏まれても 割れない殻みたいになるから

 

生まれた場所が木の上か地面の中か それだけの違い

 

所詮ひとかけの日常だから 腹の中にでも 流して寝よう

 

とっておきも出来合いも 残さずに全部食らいながら

 

この一掴みの奇跡を 噛み締めてゆく

 

 いい歌詞だ。いい意味でしつこい。逆にこれが本当に食料品としてのミックスナッツのCMソングだったらウケるな。

 比喩能力もさることながら、登場人物の一人がミックスナッツが好きであることに注目し、その一点にこだわりぬいた歌詞を書こうと思った、その発想自体がかなりすごい。もっというと、この歌詞がスパイの偽装結婚に限らず、結婚形態の多様性に目配せした同時代性の高い歌詞である点も、人間として見逃せない*1。AIには(今のところ)できない芸当だ。

 

 だからやっぱり人間がAIに勝てるところがあるとすれば、答えを見つけてまとめる力ではなく、お題を設定する思考力の方だろう。パンセも「人間は考える葦である」と言っている。思えば、この名言も立派な比喩だ。AIにも、人間を葦に例えてたたえるならどうするか聞いてみようかな。

 

フランスの哲学者ブレーズ・パスカルの言葉を借りれば、 「人間は本質的に最も弱い葦に過ぎないが、考える葦である」 。この比較は、人類を定義する独特の特徴の証である。(以下略)

 いや、だから、そうじゃないんだって!

 

 

*1:「ここに僕が居てあなたが居る この真実だけでもう胃がもたれてゆく」というユーモラスな歌詞は、結婚する男女だけでなく、人生を共に生きることを決意したすべての人間に向けられている。この歌には、人生に対するさまざまなイメージや理想が入り交じっている。

誰が「パン屋気取り」と呼ばれるのか

 アルバイト時代の後輩と飲んでいた。母親の話になって、そこから、後輩の母親が自作のパンを食べさせてきて感想を求めてくるという話に移った。そのときの話の導入が「うちの親、なんかパン屋気取りで……」だった。「パン屋気取り」という表現が気になって、それ以降の話をあまり覚えていない。

 パン屋からイメージされる人物像は、街の人の笑顔のために、朝早く起き、懸命に生地をこね、それを焼き上げ、一つずつトングで並べている姿だ。そしてそれは同時に、その人がとても強く優しい人であるということを示しているように思う。もちろん、実際に働いている人たちはそこまで単純ではないだろう。イメージを崩さないように、愛想良く接客しなければいけない。あるいは自分が食べたいものだけを作り、その余りを売っている胡乱なパン屋さんだっているだろう。それでもやはり、彼ら彼女らがパンを釜から取り出すときの感情を想像すると、微笑ましい気持ちになるのだ。時間に厳しく、しっかり者だが、人の幸せを原動力に働く心優しき一面も併せ持つ。それはなんて幸福な生き方だろう。わたしもそんなふうになりたいものだ。

 私は「パン屋」という言葉を聞いただけで幸せな気分になれる。でも、「気取り」という単語を聞くと胸糞が悪くなる。「気取り」という言葉は「芸術家気取り」「落語家気取り」というように、ある程度高尚な立場に対して使われる。こう書くとパン屋は低級な立場なのかと言われそうだが、そんなことはない。高尚の対義語は辞書的には低俗あたりだと思うが、私の中で、高尚の対義語は市井である。市井という言葉は、昔、井戸を掘った場所に人が集まったことから生まれた単語らしい。なんと誇るべきことだろう。ことさらに自分を飾り立てた先にパン屋があるのではない。飾らなくたって人が集まる、それがパン屋だ。

 私が問題提起したいのはこういうことだ。「何者かを気取るような、愚かで哀しい人間は、気取る対象としてのパン屋の魅力なんかわかるはずがないのではないか。」

 「パン屋」と「気取り」の組み合わせ。理論上あり得る概念なのに、なぜか全く光景が想像できない。生地を焼くという点でいえば往年のスレタイ「ヤクザだけどクッキー焼いたよ!」の「ヤクザ」と「クッキー」の関係と似たようなものである。ヤクザとクッキーは幸いまだ単体ではイメージしやすいのだが、「パン屋」と「気取り」は概念なので(パン屋は概念です)、何の姿かたちも思い浮かばない。

 

 「パン屋気取り」は何者か。私はこの組み合わせについて考え続けた結果、一つの解決策を得た。

 

それは「”パン屋気取り”」でググるというものである。そうすればこの言葉によって示される人間の具体的な情報が出てくるかもしれないと思ったからだ。しかし結果は3件のみヒット。ちなみに家の近くのパン屋も何件かヒットした(ので当該箇所が見えないように検索結果をトリミングしてある)。「パン屋気取り」でググってヒットするパン屋は怒っていい。

 3つの検索結果にはそれぞれ特徴があった。その中でかろうじてパン屋気取りのパターンがつかめた。一つずつ紹介していこう。

パン「屋」を気取っているケース

mamastar.jp

 まず一つはママ友の交流掲示板。「自分で性格悪いなーって思う時どんな時?」というスレッド。なるほど、「性格悪いなー」というツッコミをスレタイで消化することで、以後気兼ねなく愚痴を言えるという構造だ。うまい。この中に

ママ友が手作りパンをくれるんだけどパン屋気取りで作ってくるけどよく人様にこんな変な形で素人が作ったものくれるなと思ってる。最初にすごいねって褒めたら調子乗って手作りくれるけどまじで迷惑と思っている

という書き込みがある。あんまりだ。

 この人はパンを作っている。上手に作れていない。しかし需要があると思い込んで、皆に配っている。これではとてもビジネスとしては立ち行かない。よって「パン屋気取り」。後輩のお母様はこの人に近い。「「パン」かつ「not屋」」なのに「「パン」かつ「屋」」のようにふるまっているわけである。もちろんこれを「気取り」と称するのは言う側の主観である。

 これは後輩にも当てはまる話だが、これしきのことで「パン屋気取り」と呼ばれるのは切ない。単に失礼であるばかりではなく、供給していることからすぐに「○○屋」を連想するのは、あまりに資本主義に毒されているのではいだろうか。需要がないにもかかわらず供給するという、非ビジネス的な営みがあってもよいと思う。(それこそこのブログのように……)

「パン」屋を気取っているケース

asahi.5ch.net

 コンビニに高級品が増えたというニュースについて語るスレで

100円のパンでも買おうと思ったら

今は150円以上のパンしかないのな

パン屋気取りかよ 安くしろ

というレスがある。投稿者は、コンビニは気軽に入れる何でも屋であるはずなのに、一部商品に専門店の商品のような値段がついていることに憤っている。確かにその通りで、行ってみると分かるのだが、大抵の場合、どこもそのような価格帯である。安くても100円ショップよりちょっと高いくらいで、下手すると300円近くするものまであるのだ。そしてそれらは普通においしい。コンビニは「「notパン」かつ「屋」」なのに「「パン」かつ「屋」」のようにふるまっているわけである。

 多少味が悪くてもいいので、ワンコイン(100円玉)で買えるものも置いてほしいという意見には賛成だ。しかし、だからといってこの世界が「高いものだらけ」になっているわけでもないと思う。100円ローソンを探してみよう。

「   」パン屋を気取っているケース

asahi.5ch.net

 3つ目は洋菓子店の労働環境を問題視する記事について語るスレ。

フランス市民は毎朝の朝食のパンは必ず焼きたてを食べる習慣から

毎朝パン屋に買いに行くけど日本にそんな習慣なんてないから

深夜や朝早くから仕込みや焼くために出勤するのも

単にパリのパン屋気取りしてるだけでナンセンスなんだよな

とある。日本のパン屋もフランスのパン屋もともに「「パン」かつ「屋」」ではないか。なぜ「パン屋気取り」と言われなければならないのか。

 よく読むと(よく読まなくても)「パリのパン屋気取り」と言われている。ここでは「パン屋」という言葉が日本語で書かれていることがキーだったのだ。日本語でパン屋が言及されるとき、そのパン屋が日本のパン屋である蓋然性は高い。つまり「パン屋気取り」という言葉には、「パン」「屋」以外に「日本」という言外の要素があったのだ。

 ちなみに、実際パンが一番売れるのは午前だと思うし、焼き立てと前日作り置きでは焼き立ての方が温かく、外はパリッと、中はふんわりとした空気感があるので、パン屋が朝早くから出勤することがナンセンスだとは思わない。しかしそう思うのは素人の浅知恵なのかもしれない。投稿者の海外のパン事情への知識と「ナンセンス」という強めワードチョイスに、もしかして現役のブラックベーカリーのレスなんじゃないかと疑ってしまった。もし朝早く起きて生地をこねるのが辛いなら、そんなことやめるべきだろう。誰かの辛苦の上に成り立つ他者の笑顔になど意味はない。まずは自分の心と体をしっかり休めてほしい。「人はパンのみにて生くるものにあらず」とイエスキリストも言っている。

 

 以上まとめると、もしあなたが「パン屋気取り」と呼ばれたくないなら、やるべきことは「採算のとれるクオリティーのパン専門店を、日本人の食生活に見合った業務形態で営む」である。あるいは「パン屋」を構成する諸要素から距離を取り続ければ、「パン屋気取り」と呼ばれることはなくなる。あまりに「パン屋」とかけ離れた存在(海賊とか)は、そもそも「気取っている」とみなされないからだ。でも油断してはいけない。もしあなたが海賊で、机上に広がる海図の上で消しゴムのカスを集めてこねたら、船長はあなたを「パン屋気取り」と呼ぶかもしれない。

総務省放送法文書メモ

ゆっくり考えをまとめる暇なくて悲しい……来週の土曜あたり、まとまった時間取れるのではないかと期待している。その時加筆したい。

 

000866745.pdf

https://www.soumu.go.jp/main_content/000866745.pdf

 

立民・小西氏「放送法を私物化」 政治的公平性巡り、内部文書公表:時事ドットコム

www.jiji.com

 

この文書を読んだ感想

  • いきなり本件と関係ない些末なことで申し訳ないが、「磯」と「礒」は異体字同士とかではない違う字だと思うが、前半「磯崎」と書かれている。今の磯崎官房副長官がとばっちりを受けそう。現代ビジネスと共同通信は同記事内で表記ゆれというか、誤字していた。
  • 一貫して礒崎元補佐官側が期待する答えを引き出そうとしているように映る。不誠実ではないか。
  • でも結局国民にはっきりわかる形で報道が変質しなかったこと(実は変質しているかもしれない)、そして宏池会政権下かつ安倍元首相亡き今、自民保守派の影響力が大きくそがれていることが世間を安心させている節がある。
  • やり取りを見るに総務省的には礒崎元首相補佐官に恨みがありそうだが、なぜか高市大臣が今国会で自信ありげな大げさな態度を取った。放送法の解釈をめぐる攻防はもちろんのこと、パワハラ気質の礒崎元補佐官に振り回されたことに対する、我慢ならない不満も総務省内でたまっていたのではないか。高市大臣はむしろ、特に前半は、慎重そうに映った。社会部記者にハラスメント被害者からの事件ネタ提供があるのと本質的には変わらない気がする(今回は野党議員だったが)。
  • 本件と関係ないことだが、発信メディアとしての影響力は今やYouTubeTwitterもかなり強く、素人がやっている、法の手が届かない領域で、まさに政治的に偏りまくった主張がなされ、皆が自分に都合のいいものだけを参照している状態。そう考えると「政治的公平性」ってやはり大事な概念であり、そこを確定させたい礒崎元補佐官の気も(その方向性にはまったく賛同しないが)わかる。
  • 「抜け穴が広がる」という言葉を官邸の人間が使っている時点で、放送法の趣旨に反すると思う。放送法制定の趣旨を考えれば、なるべく抜け穴は広い方がいいので。
  • まっとうな感覚の官僚としては容認しがたいものだっただろう。特に国会質問で極端な事例の例示をどちらから切り出すかのところ、涙なしには読めない。
  • 高市出てきてから特に生々しい。
  • 当時のメディア側の記録を見られれば、いつ何時に誰が官邸に入ったかとかわかりそうなものだが。
  • 山田秘書官の存在が救いだが、彼女も彼女で、なかなか策士。「自分(山田秘書官)の担当(メディア担当)の立場でいえば、総理はよくテレビに取り上げてもらっており、せっかく上手くいっているものを民主党岡田代表の出演時間が足りない等と言い出したら困る。民主党だけでなく、どこのメディアも(政治的公平が確保されているか検証する意味で)総理が出演している時間を計り出すのではないか。」
  • 放送法というと、どうしても選挙のことが想定されがちだが(安倍元首相銃撃の際、選挙期間中であり、現場には自民党の旗が立っていたが、一部報道ではモザイクが掛けられていた)、昭和39年の答弁は選挙がらみじゃなかったことを知った。
  • 一部で「東大法学部卒の頭のいい官僚たちがあんな強権的な政治家からいいようにこき使われているのがかわいそう」みたいな意見あったが、それは若干ダウトで、礒崎元補佐官もまた東大法学部卒。つまり学歴は関係ない。よって正しくは「まともな人たちがあんなまともじゃないやつからいいようにこき使われているのがかわいそう」となり、これは家庭や企業、果てはサークルまで、人の集まるあらゆる場面で見られる光景である。もちろん悪しきことには変わりない。
  • 礒崎「番記者にもいろいろ言っているが、総務省もウォッチしておかなきゃだめだろう」。担当記者がここで問題意識を持つべきだった。そして彼ら彼女らが総務委員会もカバーしていれば、リアルタイムでこの問題を大きく報じられたかもしれない。総務省は業界の反発を恐れていたが、委員会後に「報道は見受けられない」とか書かれている。メディアが完全になめられている。
  • こういうとき首相動静を確認すれば、少なくとも2015年3月5日16時5分に誰とも会っていない=官邸内で秘書官・補佐官とやりとりしていたのではないかとか推察できると思うがどうなんだろう。
  • 民事訴訟法では228条2項3項で「文書は、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めるべきときは、真正に成立した公文書と推定する。」「公文書の成立の真否について疑いがあるときは、裁判所は、職権で、当該官庁又は公署に照会をすることができる。」とある。行政文書は公文書の一種なので(公文書保存法に定義規定あり。でもここらへんの認識、やや自信ない)、真正なものと推定され、捏造を主張する側が真正性を覆す必要がある。一社長の電子メールが争点となった堀江メール問題とはわけが違う。
  • あくまで推測だが、捏造でこれだけ詳細な記録を作るのは無理があると思う。そして、総務省には捏造する理由がない。だから私は捏造ではないと思った。

 

ここ数日の主な動き

 

総務省が検証結果の途中報告を出した。
000867909.pdf

https://www.soumu.go.jp/main_content/000867909.pdf

 

日刊ゲンダイだが、更迭について言及。
高市早苗氏に「更迭」浮上! 謝罪はしても辞職拒否、火ダルマ必至の岸田首相が決断も|日刊ゲンダイDIGITAL

www.nikkan-gendai.com

 

高市大臣がTwitterで答弁釈明。今のところ総務省高市大臣側では、前者の方が説得力が(論理というより態度において)ある。

高市早苗氏「日本語が乱れた」 ツイッターで礒崎氏めぐる答弁を釈明 [岸田政権] [自民] [放送法めぐる内部文書問題]:朝日新聞デジタル

www.asahi.com

 

海の向こうでも似たような問題が。自局のいざこざを正直に報じているあたりさすがBBCだが、Twitterの内容まで不偏公平原則の対象になるのは、日本よりきつい。
BBCリネカー氏に番組司会を一時降板させる 政府批判が不偏公平違反と問題視され - BBCニュース

www.bbc.com