Short-Lived Musings

つかの間の物思い

今週の日記

ワンテーマで書く気力・ネタはあるのだが、時間がないので、小ネタの寄せ集めでしのぐ。

 

・「少子化対策」と「同志社大学」で韻が踏める。

国会議事堂前駅にある自動販売機は、異様にレモン製品が充実していた。

ウマ娘グッズを知り合いの女性に見られたときに「なんか意外ですね。二次元お好きなんですか」と言われた。それに対して「いや、ウマ娘は(二次元じゃなくて)3Dモデリングですよ」という返答をしてしまった。

ゴールデンウィークという言葉を聞いたとき一瞬「「ゴールデンウィーク」って何だったっけ。いかにもウマ娘にいそうな名前だ」と思った。ここ数年ゴールデンウィークと縁のない生活を送っていたので忘れかけていた。スペシャルウィークも、一昔前はセールの名前としか認識していなかったが、今では「あの子」になっている。

・マダムタッソー東京のロッカールームには巨大な葉加瀬太郎がいる。バイオリンをロッカーで隠されているので、ただアフロで棒を持ったおじさんが壁に描かれている状況になっている。しかも左からウィリアム王子&キャサリン妃→オードリーヘップバーン→葉加瀬太郎という並び。いや、別にいいんだけど、その流れで葉加瀬太郎が来るのか??

・「ネット右翼は司令官目線で戦争を語る」の亜種として「労働者がコンサル目線で経営を語る」というのもあるのではないか。インターネット上の仮想人格としてどれほどのステータスを選ぶか問題は、インターネット上で(それなりに)活動する多くの者にとって重要な課題だ。たとえばこの記事に書いてあることの多数は今週Twitterに投稿した内容なのだが、細かな表現に変更が加えられている。それはまさにTwitter上での仮想人格とブログ上での仮想人格の差だ。常に等身大の自分でいられる人ってどのくらいの割合いるのだろうか。私は、自分がその一人だとは思わない。

YouTube新興宗教のゆっくり解説動画を上げているチャンネルがある。霊夢魔理沙の代わりに、麻原彰晃池田大作の画像を使っているし、キャラクターとしても現実世界での彼らを引き継いだ設定となっている。不謹慎極まりないのだが、説明の真摯さとゆっくり音声というフォーマットの「毒にも薬にもならなさ」から、不思議と不快感は少ない。どう考えても悪趣味なのに、このフォーマットでやられると「解説動画」として成立し、受け入れてしまう。そのギャップが奇妙で面白い。それくらいにゆっくり音声・解説がフォーマットとして確立されているということなんだろう。*1

www.youtube.com

・相手の容姿を褒めたり自分の容姿を自虐したりするのもルッキズム的ハラスメントの一形態だという話がある。それとパラレルな話で、学歴を褒められて謙遜した結果相手に失礼になってしまうことがある。特に大学の偏差値や浪人の有無・年数などは数値化されているので、下手に謙遜すると自分以上に相手を貶める危険がある。学歴を褒められたときは内心で「私よりすごい人間なんてごまんといます。が、それはそれとして、学歴が人の優秀さを担保する時代ではなくなりつつあります。が、さらにそれはそれとして、私の能力のいかんにかかわらずあなたは私にもっと興味を持つべきです」と言いそうになるのをこらえて「ありがとうございます。でもまだまだなので勉強頑張ります」と答えるようにしている。

・高校の同窓会に出席した。男子の一人が遅刻していた。女性陣がその人のことを「○○君は高校時代全然女子と話してくれなかったから会うのが楽しみだ」と言っていた。私はそれを聞いて内心「でもそれを言えば俺だって女子の皆さん方と話したことないんだが?」と思った。それ以降ずっと劣等感で積極的にしゃべれずにいたら、会は終了した。「露骨に馬鹿にされた」とか、「自分以外で二次会が開かれた」とか、そういうやわな「高校時代冴えなかったやつあるある」に吸収されない、真の孤独と愚かさがここにはある。自分はこの歳になってもここまで未熟なのかと驚くとともに、そんな自分がかわいくてかわいくてしょうがなかった。

*1:一応書いておくと、彼らを学問的、歴史的な観点から面白いと思うことは構わない。しかし彼らが信者を支配するために操作的な戦術を用い、個人やコミュニティに大きな損害を与えてきたのは周知のとおりである。彼らの行動や信仰を批判的に評価せずに、彼ら自身やその教えを賛美したり面白半分で宣伝したりすることは適切ではない。バランスのとれた視点で彼らの言動を調べ、彼らが引き起こした・ている潜在的な害をも認識することが不可欠である。