Short-Lived Musings

つかの間の物思い

カラフルで透明なアーチ

 ある日Twitterに珍現象の写真が投稿された。

 東京の空に架かる巨大なアーチの画像だ。アーチはとてもカラフル。内から外にかけてグラデーションがあり、外側は赤色、そして緑を経由して、内側は暗い青色になる。だが半透明だった。

 最初は合成画像かと思ったが、複数人が微妙に異なる角度から同じアーチの写真を撮っていた。それぞれのアカウントはバズ狙いの合成などしそうにない雰囲気だったので(たとえばサッカーが好きそうな高校生とか、金融系のニュースをリツイートしているサラリーマンとか)、私はその写真を信じることにした。

 ツイート内で撮影場所に言及している人がいたので、場所はすぐに判明した。不思議なことに、そのアーチの真下にいる人は気づかなかったらしい。地上と連結しているわけではなく、浮いているのだろうか。あれだけでかいと誰かが気づきそうなものだが、影はできなかったようだ。そして、しばらくたつと消失したとのことだった。まるでつかみ所の無いホログラムのような存在だった。

 この投稿を見たとき、私は恐怖よりも先に興奮を覚えた。何だろう、あのアーチは。とにかく謎めいた存在だったのだ。

 世間の反応も同様だった。

 これらの写真はたくさんリツイートされ、話題になった。翌日朝の情報番組でも取り上げられ、専門家が質問攻めに遭っていたが、うかつに適当なことは言えないという感じでお茶を濁していた。

 この話は海外でも話題になった。しばらくたったある日、今度はアメリカ南部で同様の現象が確認された。さらにはパプアニューギニアとタイで、同日に観測された。その後、世界各地でこの謎の現象が観測され始めた。

 ネット上にはそれらの画像から共通点を発見しようと試みる人たちがいた。時間帯や緯度経度、スマホカメラの性能などを検証したのだ。しかし残念ながら、それらしき共通点は見つからなかった。

 そんな中、とあるアメリカ人が「これらのアーチが現れる地点では、直前まで雨が降っていたようだ」とツイートした。突飛な話だったが、その人はリプライ欄で丁寧に他人の画像付きツイートを引用しつつ解説していたので、すぐさま信憑性の高い説としてちまたに流布した。

 ただその事実が何を意味するかは誰にもわからなかった。最初のうちはみんなただ珍しいだけ、美しいだけと思っていたようだったが、次第に不気味さを感じ始めたのか、SNSでは、アーチの発生機序などどうでもよく、それをどう解釈するかに熱をあげる者が出始めた。最も支持されたのは「終わりの始まり」的な終末論ではなく、「これは天の国につながる門である」という解釈である。雨上がりの青空に表れる、巨大でカラフルな門。降る雨に迫害の歴史を投影すれば、たしかにこのアーチは宗教的な希望の象徴と思えるかもしれない。新たな神話の始まりだという人さえ現れた。

 宗教的な解釈とは別に、ただの物珍しさから、アーチの発生(とその前触れとなる雨)を待つ集まりもできた。狙い通り見られる人もまれにいたが、それはほんの一部。ほとんどの人はアーチを見られなかった。それでも彼ら彼女らは諦めず、アーチの出現しそうなポイント付近で張り込みを続けた。中には寝袋を持ち込んで夜通し待ち続ける者もいた。しかし多くの場合結局何も起こらず、人々は失望して解散した。

 実を言うと私もその一人だ。三度挑戦をしたのだが、ダメだった。夜中に見られたという話は聞かないので、朝方にトライしてみたのだが、空には雲があるばかりで、何も現れなかった。ただ靴がぬれただけである。

 一方でこの現象を科学的に解明するプロジェクトも始まった。部分的にでも素材を回収しようとした。しかしやはりこのアーチには実態がないようだということがわかった。アーチが存在するであろうあたりの大気を調べてみても、一般的な大気中に含まれる成分と変わらない。ただし、直前まで雨が降っていることは関係あるようで、そのあたりを利用してなんとか観測できないかという研究が続けられているそうだ。雲をつかむような話である。

 こうして様々な憶測が生まれた。アーチの正体は何か? なぜこんなことが起きているのか? そしていつか終わるのか? これらの疑問に対して、専門家たちは答えを持たなかった。いや、正確には専門家を含む誰もが知らないと言った方が正しい。

 結局、何もわからないまま1カ月ほど過ぎた頃だろうか、世界中の人たちはこのアーチに独自の愛称を付け始めた。

 欧米では、あるシンガーソングライターが「矢の代わりに雨を撃つ巨大な弓のようだ」と表現したことがきっかけで、「レイン・ボウ」(Rain Bow)と名付けられた。弓に例えるのは、戦闘狩猟民族の末裔である欧米人らしい。

 中国では「蛇のうろこのようなきらびやかさだ」「蛇が地から天に昇る様のようだ」ということで「虫工」と表現された。「工」は蛇が地と天をつないでいる様子を表しているらしい。こちらもまた、いかにも中華な発想である。(その後Unicodeに「虹」という文字が登録されていることがわかり、インターネット上では「虹」と表記されることも多くなってきた。)

 日本のネットユーザーの間でも、このアーチに日本らしい名前を付けようという動きが起こった。あまりの巨大さと、真下付近に行くと見えないということから、こんな冗談交じりの発想が生まれた。我々は実はアニメや漫画の世界に生きるキャラクターであり、環境は背景レイヤーである。そしてあのアーチは、神という作者が間違えて表示してしまった「カラーパレット」である、と。だからあんなにカラフルで、この世に存在するあらゆる色を含んでいるのだ。美の神様は、リンゴを塗るときにはパレットの一番外側の色相を使い、ファミリーマートの看板を塗るときには、真ん中から真ん中ちょい下くらいまでの色相を使う。日本でこのアーチは「二次元」を略して「にじ」と呼ばれるようになった。